‘日常’ カテゴリーのアーカイブ

ねぶた祭り

2014年8月29日 金曜日

 前回の浦和まつりに引き続きまして、今回もお祭りについて語っちゃいます。

今回のお祭りは“青森ねぶた祭り”
8月に青森県青森市で開催されるお祭りです。
私が青森に住んでいたのは、1995年4月から1999年11月までの約4年半。
昔からお祭り大好きだった私にとって“ねぶた祭り”超魅力的なものでした。

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ねぶた祭り
改めて調べてみました。
“青森ねぶた祭り”は、征夷大将軍となる坂上田村麻呂が戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来とするものだそうです。

ふうううーん。
今まで、坂上田村麻呂が征夷大将軍として出陣するときの景気づけって思っていた私。
違うんだ…。

“青森ねぶた祭り”
勇壮な大型の人形を乗せた山車を数十人掛かりで引きます。
大きさは、台車(高さ約2m)も含めて幅9m・奥行き7m・高さ5m。

山車の後ろを“跳人(HANETO)”がぴょんぴょんと跳ねます。
掛け声は「ラッセェーラァ、ラッセェーラァ、ラッセェラッセェ、ラッセェーラァ」

お衣裳は、浴衣姿で頭には花笠、肩にはピンクのたすき、浴衣の下は青のおこし、腰には黄色のしごき。
男性と女性とはちょっと着つけ方が違います。
ちなみに私は、たすき、おこし、しごき全部赤で揃えていました。
若いお嬢さんたちはお衣裳をミニにして着ていましたが…。
さすがに私にはその勇気はなく…。

そして我が家の子ども達はパッチに腹掛け。

 

大人も子どももたくさんの鈴をつけて跳ねます。
シャンシャン…、という音が心地よく耳に残ります。
跳人の鈴を貰うと幸せになれるという言い伝えが…。
跳ね終わって帰路につくとき、見物された方々に鈴を渡しながら帰ります。
じゃないと!
見物された方々の中には鈴をむしり取りに来る方が…。
跳人が子どもだろうが大人だろうが、その光景はちょっと怖い…。

 

毎年ねぶた開催中、2日から3日は跳ねていたでしょうか…。

ねぶたの期間は、毎年8月2日から7日までの6日間。
最終日の夜は大賞を受賞したねぶたの海上運行。
約11,000発の花火とともに祭りのフィナーレを飾ります。
暗い海の上。
ライトアップされたねぶた。
とても神秘的です。

 

ねぶたが終わると、青森の夏も終わります。
残るのは…。
歩き方を忘れるくらいのひどい筋肉痛。
でも、翌年また跳ねたくなるのです。

 

“青森ねぶた”は誰でも参加可能なお祭り。
一度跳ねてみませんか?
また翌年も跳ねたくなるかも…。

8月16日

2014年8月16日 土曜日

勝手に「今日は何の日」シリーズ!

 

ということで、今回は1943年8月16日をとりあげてみたいと思います。

 

1943年の今日、みなさんどうお過ごしでしたか?

 

 

1943年8月16日は、第二次世界大戦: 連合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰した日です。

 

・・・といっても、「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」と言われても、馴染みのない方も多いかもしれません。

 

しかし、実は、この教会の壁には、ある有名な絵画が描かれているのです。

 

その絵画とは・・・

 

 

 最後の晩餐

 

 
『最後の晩餐』

そうです、レオナルド・ダ・ヴィンチの数多くの作品の中でも傑作の一つといわれている絵です。
約3年もの時間をかけて、1498年に完成したものです。

 

『最後の晩餐』は、いろいろと謎の多い絵画とされてきましたが、10年ほど前にアメリカで出版され映画化もされた『ダヴィンチ・コード』でさらに有名になりました。

 

また、『最後の晩餐』は、絵そのものの素晴らしさももちろんですが、もう一つ、この絵が500年もの間ギリギリのところで消失を免れてきたことで、『奇跡の絵画』とも呼ばれているそうです。

 

今回は、この絵が置かれてきた困難な状況をご紹介したいと思います(wikipediaより)。

 

①完成当時、食堂として使用されており、食べ物の湿気、湯気などが、この絵を浸食する原因となった。

 

 

②16世紀から19世紀にかけて、修復や書き足し(大規模なものは5回)が行なわれたが、修復者のレベルにばらつきがあり、あまり良い結果を生んでいない。

 

 

③19世紀の修復家は壁画自体を壁からはがそうとして失敗し、壁面に大きな亀裂が走った。

 

 

④17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。

 

 

⑤17世紀末、ナポレオンの時代には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。

 

 

⑥これまで、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。

 

 

⑦1943年8月16日、第二次世界大戦時、アメリカ軍がミラノを空爆し、その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、絵画の部分は奇跡的に残った。ただ、その後3年間屋根の無い状態であり、激しく損傷を受けている。

 

 

「え?どうしてそんな状況に・・・?」と突っ込みを入れたくなるようなところもありますが、上記のような状況を生き延び、現在でも私たちがこの絵画を目にすることができることを考えると、確かに『奇跡の絵画』と言えますね。

 

 

ちなみに、私の知り合いもイタリアまで見に行ったのですが、フルサイズ(4m×9m)のこの名画が教会の壁に描かれているところを実際に目の当たりにすると、その迫力に圧倒され感動したそうです。

 

見学は、一度に入館できるのが25人、時間が約15分と決まっており、完全予約制となっています。

料金は、8ユーロ(約1000円)です。

 

みなさんもぜひ、この奇跡の絵画を鑑賞しに出かけてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

夏の風物詩ビアガーデン

2014年8月8日 金曜日

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いよいよ夏本番と言うことで、皆様におかれましても海や山などのレジャーにお出かけになっているかと思います。やはり夏と言えばキンキンに冷えたビールが飲みたいということで、私も連日30度を超える猛暑の中、高尾山の中腹にあるビアガーデンに行ってまいりました。

高尾山へはJRの方はJR高尾駅から京王高尾駅に乗り換えまして、高尾山口という駅(京王高尾から京王線で5分程度)の終着駅でおります。

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高尾山はミシュランガイドに3つ星の観光地として紹介されたため外国人の観光客がとても多く見受けられました。私も駅を降りて辺りを見回すとフル装備の登山客の山、山、山。その方々がお持ちの地図を見るとフル装備の方々達は高尾山頂から陣場高原に抜ける縦走ルートの方達で割とハードな登山コースの方達でした。軽装の私は少しビビりました(笑)

私は登山して汗をかいてから美味しい一杯をというコンセプトなので、キツすぎない一番楽な1号路という観光登山のルートで山頂を目指します。事前の調べではだいたい40〜50分程度、2〜3kmの道のりだそうで途中休憩を入れてもすぐにつくだろうとタカをくくっておりました。

 

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麓の駅の標高はだいたい240mほど、私が家を出たときで海抜100mほどでしたので、もう電車に揺られてきただけで、既に140m近く高い標高に登山する前からいるんですね。気温も森の空気が涼しく都市部より5度近く涼しく感じました。森を駆け抜ける草の香りのする風が、とても心地よいです。

短い道のりですし、1時間程度の山登りと考えていたので前半戦おしゃべりに夢中になりながら歩いた結果、情けないことに中腹で息切れ。私、酸欠で目が回りました。登山道の各所にはベンチなどがあり、どのベンチにも私と同じようにダウンした方が横になっておりました。

しばらく休むこと、15分。先輩方の叱咤激励を受けながら復活し、上り終えるとそこには絶景が!

 

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息切れしながら上った甲斐がありました。疲れが吹き飛びますね。さてこれからは、カラカラの喉にお楽しみのビールが待っている訳なのですが、残念ながらすぐにはありつけませんでした。土日祝日はビアマントは完全入れ替え制。大人気なので、整理券の番号が廻ってくるまではお預けなのです。予約制は10人以上の団体様向けなので、早く来て整理券をゲットするのが最短の道の様です。

 

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だいたい30分ほどの待ち時間で入れ替えのお客さんと入れ替わりまして、念願のビールへ。

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八王子の宝サブちゃんのうちわで扇ぎながらの一杯は格別でした。ちなみに山頂はまだまだ先。山頂を目指すという方には、ここから100mほど上らないと山頂ではないので注意が必要です。さらにこの先には薬王院の階段等のアップダウンの激しい難所が待ち受けております。

ビアマウントが目的の私はここでじっくり腰を据えて、食べ物や冷えたビールに舌鼓を打ちました。とても良い席が取れまして絶景をみながらビールを飲んでいると、TVクルーが近づいてまいります。場所を貸してほしいとのことでしたので少しの間、譲ると夕方の報道番組で流れるとのこと。全国の方も同じ景色を見られていたかもしれませんね。

 

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ちなみにビアマウントの高度は約海抜510m。270m登るのに約1時間かかりましたが、帰りはお酒の力もあってか半分強の時間で歩いて降りてきました。やはり運動後のビールは格別ですね。

そんなビアマウントは今年は10月13日(祝)まで。ちょっと体力が心配…という方は登山せずとも、ケーブルカーやリフトで15分ほどゆられれば、東京都は思えない魅惑の景色に。また来年とは言わず、来月登りにこようかと思います(笑)

浦和まつり

2014年7月25日 金曜日

笛の音、和太鼓の音…
まつり囃子が聞こえる…。

毎年7月後半。
浦和で開催される《浦和まつり》。

このお祭り。
音楽パレード、 浦和おどり、 浦和おどりremix、みこし渡御、ウラワミュージックフェスタ、浦和よさこい、ウラワサマーミュージック、ダンスフェスタ、北浦和阿波おどりと内容が盛りだくさんのお祭り。
会場は南浦和、浦和、北浦和。
今年の日程も7/13、7/20、9/6と3日間。

その中でも私が一番ワクワクするのが《みこし渡御》
東京の《三社祭》までの規模はないものの、今年も25基のお神輿が1.6kmの距離を練り歩きます。
お神輿といえば…。
まだ私も20代の若かれし頃友達と担いでおりました。
パッチに腹掛け、半てん姿。
頭には手ぬぐい。
長くきれいにたたんだ手ぬぐい。
鉢巻にはこだわりありっ!
中央の位置にしっかりアイロンで折り目をつけて…。
眉間のあたりにに手ぬぐいの中央を合わせ、額より上がり気味に手ぬぐいの先を後ろに持っていく。
高い位置におだんごを作って、その上で手ぬぐいをちょこんと交差させる。

はぁ…。
私も仲間に入れるものなら入りたいなぁ…。
いやっ、無理だ…。
今年に入って2回もぎっくり腰になり、周りにご迷惑をかけ続けたという私。
「担ぎたいなぁ…。」
一言発した瞬間、
「だめぇ!」って…。

わかってますよ。
自覚ありますから。
ちょっと言ってみただけじゃないさ…。

さぁ!
『浦和まつり』の話に戻りましょう。
天気予報は…。
午後から大荒れとのこと。
どうなることやら…。

14時30分からの『みこし渡御』
25基のお神輿が浦和の『調神社』に向います。

ちなみに…。
『調神社』
何と読むかご存じですか?

調神社

『つきのみやじんじゃ』と読むんです。
ここには『うさぎ』が祭られてます。

 

調神社のうさぎ

ほらっ。
かわいいでしょ。

私はこの『調神社』からお神輿の出発地点に向かって歩いてみました。

沢山の露店が並ぶ中山道。
まず、見えてきたのは『まとい』。

 

まとい

そのうしろには先頭のお神輿。

神輿

私の目指すお神輿は…。
次男が参加させていただいている19番目のお神輿。
そうです。
担げない私の代わりに次男投入。

出発地点に着いたのが16時。
目指すお神輿の出陣に間にありました。

いざ出陣!

すでにスタンバ完了の状態。
お神輿の周りには大勢の担ぎ手。

「よろしくお願いします。」のあいさつの後、木遣りが響き…。
「よぉーっ!」と一本締め。

 

一本締め

 

「ソイヤッ!」
「サーッ!」

はじまったっ!
お神輿を担ぐにはリズムがあります。
このリズムが合わないと大変。
肩にお神輿の重さがずっしり。

全体のリズムがくずれてくると神輿頭から声がかかります。
「さぁ、さぁ、さぁ、さぁ!」

神輿

リズムの戻った神輿のてっぺんにある鳳凰が気持ちよさそうに揺れています。

 

鳳凰

神輿3

暗くなるとライトアップされるお神輿。
これがとても神秘的。

あれぇ…。
暗くなってきたし。
まだ、18時前なんですけど…。
お神輿がライトアップされてきれいなんだけど、空が…。

神輿2

ザーッ!
大雨。

ピカッ!
バリッ!
雷。

えええーーーーーっ!
天気予報。
当たっちゃったじゃない。
折りたたみ傘持参していたものの、まったくお役に立たないくらいの大雨。
無理だ…。
帰るか…。
そして次男も一緒に担いでいた方の「撤収っ!」の一言で家路に。
あの豪雨に負けることなく最後まで担がれた方々。
お疲れ様でした。

 

そして翌日。
次男の肩は悲鳴を上げている状態。
わっ!真っ赤い!
洋服が触るだけでも辛いよねっ。
でも、きっと来年も担ぎたくなるよ。
それはね…。
母がそうだったから…。