勝手に「今日は何の日」シリーズ!
ということで、今回は1943年8月16日をとりあげてみたいと思います。
1943年の今日、みなさんどうお過ごしでしたか?
1943年8月16日は、第二次世界大戦: 連合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰した日です。
・・・といっても、「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」と言われても、馴染みのない方も多いかもしれません。
しかし、実は、この教会の壁には、ある有名な絵画が描かれているのです。
その絵画とは・・・
『最後の晩餐』
そうです、レオナルド・ダ・ヴィンチの数多くの作品の中でも傑作の一つといわれている絵です。
約3年もの時間をかけて、1498年に完成したものです。
『最後の晩餐』は、いろいろと謎の多い絵画とされてきましたが、10年ほど前にアメリカで出版され映画化もされた『ダヴィンチ・コード』でさらに有名になりました。
また、『最後の晩餐』は、絵そのものの素晴らしさももちろんですが、もう一つ、この絵が500年もの間ギリギリのところで消失を免れてきたことで、『奇跡の絵画』とも呼ばれているそうです。
今回は、この絵が置かれてきた困難な状況をご紹介したいと思います(wikipediaより)。
①完成当時、食堂として使用されており、食べ物の湿気、湯気などが、この絵を浸食する原因となった。
②16世紀から19世紀にかけて、修復や書き足し(大規模なものは5回)が行なわれたが、修復者のレベルにばらつきがあり、あまり良い結果を生んでいない。
③19世紀の修復家は壁画自体を壁からはがそうとして失敗し、壁面に大きな亀裂が走った。
④17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。
⑤17世紀末、ナポレオンの時代には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。
⑥これまで、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。
⑦1943年8月16日、第二次世界大戦時、アメリカ軍がミラノを空爆し、その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、絵画の部分は奇跡的に残った。ただ、その後3年間屋根の無い状態であり、激しく損傷を受けている。
「え?どうしてそんな状況に・・・?」と突っ込みを入れたくなるようなところもありますが、上記のような状況を生き延び、現在でも私たちがこの絵画を目にすることができることを考えると、確かに『奇跡の絵画』と言えますね。
ちなみに、私の知り合いもイタリアまで見に行ったのですが、フルサイズ(4m×9m)のこの名画が教会の壁に描かれているところを実際に目の当たりにすると、その迫力に圧倒され感動したそうです。
見学は、一度に入館できるのが25人、時間が約15分と決まっており、完全予約制となっています。
料金は、8ユーロ(約1000円)です。
みなさんもぜひ、この奇跡の絵画を鑑賞しに出かけてみてはいかがでしょうか。