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今月の特集記事【2018年9/20日号】

時が流れ、平成がもうすぐ終わろうとしている中であっても、輝きを失わない珠玉の名作があります。そんな小説や作品を書き上げた文豪ゆかりの地を散策してみませんか?

今回ピックアップした、都内にゆかりのある文豪は3人。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』で知られる夏目漱石ゆかりの地は新宿です。昨年、生誕150周年を記念して新宿区立漱石山房記念館がオープンしたばかりです。

そして、『走れメロス』『斜陽』『人間失格』を書き上げた太宰治。居を構えていたのは三鷹で、ゆかりのスポットが点在。太宰をテーマにしたサロンもあります。

最後は、浅草で生まれ、浅草を舞台にした『鬼平犯科帳』などの時代小説を手掛けた池波正太郎。美食家としても名高い彼が行きつけた喫茶店も今なお営業中です。

彼らの作品を読んだことがなくても、散策をきっかけに興味が沸いてくる方もいらっしゃるはず。文豪だからといってかしこまらず、ぜひ気軽に出かけてみてくださいね!

まず最初にご紹介するのは、夏目漱石と新宿界隈。新宿は漱石の生誕地であり、その生涯を終えた地でもあります。

東京メトロ東西線の早稲田駅。降りてすぐの早稲田前交差点から夏目坂を上るすぐ左手に 「夏目漱石誕生の地」碑が建っています。漱石が生まれたのは1867年のこと。今年は生誕151年目にあたります。ちなみにここから若松町方面に上る夏目坂は、漱石の父であり、当地の名主(役人)だった直克が名付けたのだそう。そのことを漱石は随筆『硝子戸の中』に書き記しています。

そのまま夏目坂を上り、左折してしばらく歩くと見えてくるのが「漱石公園」です。明治40年から没するまでの9年間、ここに建っていた漱石山房で『三四郎』や『これから』『こころ』といった代表作を執筆しました。

明治40年の漱石は、ちょうど前年に『坊ちゃん』を発表し、これまで勤めていた教職から離れて小説で一本立ちすべく決意した年でもあります。

現在、漱石公園には昨年9月オープンしたばかりの新宿区立漱石山房記念館があります。

1階の導入展示では、グラフィックパネルや映像を駆使して漱石の生涯や人となり、新宿との関わりなどを紹介。

再現展示コーナーでは、漱石山房の書斎や客間、ベランダ式の回廊などが再現されています。資料展示室には、漱石の作品世界の紹介をはじめ、氏とつながりがある文豪や人物の紹介や、漱石と俳句や絵画などとの関わり、草稿や手紙なども展示公開されています。

また、漱石の作品や関連図書を読みながら過ごせるブックカフェや、スイーツを楽しめるカフェ・ソウセキも併設。カフェには、氏の作品にも登場する、銀座の老舗和菓子店「空也」のもなかセットなるメニューも。 『主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅を頬張って口をもごもご云わしている』 ―――夏目漱石『吾輩は猫である』より

大の甘党だった漱石ゆかりのメニューを満喫しながら一服してみるのがよさそうですね。ちなみに漱石公園の片隅には、石が積まれた塔「猫塚」があります。

これは『吾輩は猫である』のモデルとなった初代猫の13回忌にあたる大正10年に遺族によって建てられたのだとか。その後の震災や戦禍によって崩壊してしまいましたが、昭和28年になって区によって修復再建されました。

生誕地である碑と、終焉の地である公園。双方の距離はおよそ500mほどです。
休日のプチ散策として、ぜひ歩いてみてください。
■夏目漱石誕生の地(一般社団法人新宿観光振興協会)
■新宿区立漱石山房記念館
 ホームページ:http://soseki-museum.jp/
『走れメロス』『津軽』『斜陽』『人間失格』などを書き上げた昭和の文豪、太宰治。青森県北津軽郡で生まれ、波乱と激情に満ちた人生を送った太宰は、1939年から1948年にかけて、疎開機関を除いて東京・三鷹の下連雀で暮らしました。その痕跡や太宰が愛したスポットが点在しています。

まずはJR三鷹駅から立川方面に少し歩くと、古めかしい陸橋が見えてきます。中央線の車両基地をまたぐ陸橋の上に立つと眺めがよく、お気に入りの場所だったそうです。時には友人が訪ねてきたおりに、ここを案内することもあったのだとか。

この陸橋は1929年(昭和4年)に竣工し、今もなお当時の姿を留めていて、たもとには案内板もあります。晴れていれば西に富士山がくっきりと見えるとあって、太宰は故郷の津軽富士の姿と重ねてみていたのかもしれませんね。

そして、太宰が太平洋戦争勃発の日について書いた『十二月八日』、この中に出てくる「伊勢元」という酒屋も三鷹にありました。今はもうありませんが、その跡地に建ったビルの1階が、「太宰治文学サロン」としてオープンしています。

執筆した小説はもとより、自筆の手書き原稿の複製や太宰が愛した火鉢などが展示されているほか、絵葉書やTシャツなどの物販コーナーもあります。また、太宰が住んでいた頃の三鷹の写真や、お気に入りだった銀座のバー「ルパン」でくつろぐ太宰の写真など貴重な資料の数々も。土日祝日には市民ボランティアの方々が常駐し、解説とゆかりの場所の案内をしてくれるそうです。三鷹にある太宰ゆかりのスポットを記したマップもあるので、太宰めぐりの散歩の起点にするとよいかもしれません。

そして、三鷹駅前から井の頭公園にかけて流れる玉川上水。太宰が入水を図った場所であると同時に、作品にもしばしば登場しています。

『頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。ひっそりしている。ああ、こんな小説が書きたい。こんな作品がいいのだ。なんの作意も無い』 ――太宰治『乞食学生』より

現在、この周辺の玉川上水沿いは「風の散歩道」という遊歩道として整備され、太宰ゆかりの地として案内パネルも掲げられています。そしてその散歩道には、太宰をしのぶように「玉鹿石」が鎮座しています。この石は、太宰の故郷である津軽金木町産です。激動の時代を生きた太宰に想いを馳せながら、爽やかな秋の玉川上水散策を楽しんでみてください。
■太宰ゆかりの場所(三鷹市)
■太宰治文学サロン(公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団)
『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』などの著者として知られる池波正太郎。戦後を代表する時代小説・歴史小説家でありつつ、グルメエッセイや映画評論などの著書も多く、いまだにファンの多い文豪の一人です。

そんな池波氏は1923年(大正12年)、台東区浅草で生まれました。生誕碑があるのは、隅田川の西岸にある浅草寺の支院のひとつ「待乳山聖天」の西側登り口部分。浅草の寺院はいつも多くの人でごったがえしているイメージを抱きがちですが、ここ待乳山聖天は喧騒から離れてひっそりとしていることもあり、散策におすすめです。池波氏は生まれてすぐに関東大震災が起きてて埼玉県へ居を移したため、ここに住んでいたのはごくわずか。しかし後年たびたび「自らの故郷」としてこの地と隅田川を挙げています。

池波氏の小説の中で、鬼平や梅安が大活躍する舞台も、浅草・上野界隈です。鬼平こと長谷川平蔵は実在の人物であり、火付盗賊改方として江戸の治安維持に奮闘し、"鬼の平蔵"という異名で呼ばれました。作中によく登場する「大川」は墨田川、「大川橋」は吾妻橋です。

そのまま吾妻橋を渡って隅田川の東岸に行くと、これも劇中に登場する如意輪寺、三囲神社、常泉寺などの寺社仏閣が点在しています。もう少し足を伸ばせば東京スカイツリー。この界隈も鬼平の頃は田畑が続く「押上村」であり、鬼平のテリトリーでした。

浅草に生まれ、浅草界隈を舞台にした小説を次々と生み出した池波氏。その足跡をまとめて知りたい方は、台東区立中央図書館に行ってみましょう。館内に「池波正太郎記念文庫」があります。

同文庫では、作品に関するさまざまな資料をはじめ、復元された書斎やパイプなどの愛用品、自筆原稿、氏が描いた絵画などが展示されています。

時代小説の第一人者でありながら書斎が洋風というのがなんともハイカラですね。また、時代小説コーナーでは戦前の貴重本から現代の人気作品まで、時代小説に関する多彩な資料が揃い、公開されています。

散策の締めには、池波氏が通った浅草の老舗喫茶「アンヂェラス」へ行くのもいいですね。ダッチコーヒーに梅酒を加えた「梅ダッチコーヒー」は当初裏メニューだったものの、池波氏のアドバイスにより正式なメニューとなり、今でも看板メニューとして人気ですよ!
■池波正太郎記念文庫 - 台東区生涯学習センター
今後の特集の参考にさせていただきます。
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