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特集記事【2021年2/20日号】

三月三日の「桃の節句」は、女の子の健やかな成長を願う年中行事としておなじみですが、これは桃の花が咲くシーズンになぞらえた呼び方。

本来は上巳(じょうし)の節句といい、1月7日の人日(じんじつ)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき・たなばた)、9月9日の重陽(ちょうよう)と並び、「五節句」のひとつに数えられます。

自粛期間ということでなかなか外出もままならない中、こうした暦の上での行事を通じて、季節感を味わってみては…という想いで、今回は桃の節句特集です。

女の子がいないご家庭でも、桃の節句らしい"ハレの日"の華やかな料理を楽しんだり、無病息災を祈るなど、さまざまな楽しみ方をしていただきたいと思います。

桃の節句は、「上巳(じょうし)の節句」とも言います。上巳とは、旧暦3月に訪れる最初の「巳の日」のこと。この日に行われていたのは、春の到来を喜ぶと同時に、厄を払って無病息災を祈る行事です。季節の変わり目は邪気が入りやすいといわれ、体調の崩しがち。そのため、この日には水辺に出かけて禊をするなどして、身を清めていたのです。

平安時代、この行事が日本に伝来すると、宮中行事として定められました。貴族たちは紙や藁、草などで作った人型に、自らの穢れを移し、川や海に流しました。また、当時の子どもたちの間では、人形遊びが流行していました。これは「ひいな遊び」と呼ばれており、やがて厄払いの行事と結びついて、「ひな祭り」と呼ばれるようになりました。

ちなみに「桃の節句」という呼び名は、旧暦3月3日(今でいうところの4月)頃に桃の花が咲くこと、さらに桃には古来より魔除けの力が秘められているということから名づけられたのだそうです。

最初は簡素なつくりだった人形は、時代を重ねるにつれて高度な職人の技術が注ぎ込まれるようになります。

そこで生まれたのが「流すのではなく、飾る」という文化です。まずは貴族や武家の間で流行し、お互いの家に客人を招き、ひな人形を見せ合う習わしも行われるようになりました。

女の子が生まれた際にはひな人形を飾り、華やいだ雰囲気の中でお祝いする文化は、江戸時代初期に京都御所で盛大なひな祭りが行われたことがきっかけなのだとか。天皇家の華々しい節句行事が話題となり、庶民の間にも広まっていきました。

なお、節句のルーツとなった中国では、現在3月3日にめぼしい行事は行われていません。子どものお祝いは、男女ともに6月1日に行われています。日本では独自の解釈や人形遊びとの融合がなされ、現在もしっかりと根付いているのがおもしろいところです。
全国各地にある個性的なひな祭りを、ここで少しご紹介しましょう。なお、今年度はコロナ禍ということもあり、開催を中止するイベントも多々あります。もしお出かけする際は、事前に実施の有無を公式ホームページ等でご確認ください。

まずは、桃の節句の由来となった、人形を川や海に流す「流しびな」。「源氏物語」にも登場するこの行事が、今なお残っている地域があります。

有名どころですと、鳥取県鳥取市の用瀬(もちがせ)町。旧暦の3月3日に男女一対の紙でできた雛を、米俵の上下につける藁の丸いフタ(さん俵)に乗せて、千代川に流します。用瀬の流しびなは一年を通じて無病息災で幸せに生活できるように、と願う民俗行事として、県の無形民俗文化財に指定されています。また、行事が行われる日、街中ではその家に古くから伝わるひな人形などが玄関先に飾られ、街歩きをしながら楽しめます。

なお関東ですと、埼玉県さいたま市岩槻区。この地はかつて岩槻城の城下町として賑わい、江戸時代初期から日本人形の生産地として名を馳せてきました。毎年3月3日の直前に日曜に、岩槻城址公園にて「岩槻流しびな」が開催されます。

次は、「吊るし飾り」。文字通り、据え置くタイプの人形とは別に、天井から糸で華やかな細工や雛を吊るす行事です。

日本三大吊るし飾りは、山形県酒田市の「傘福」、静岡県伊豆町稲取の「つるし飾り」、福岡県柳川市の「さげもん」です。

横の写真は「傘福」です。

傘から飾りを吊るし、傘のまわりに布を巻いて天蓋にします。猿をかたどった「さるっこ」と呼ばれる人形は、災いが「去る」、唐辛子の飾りは「娘に悪い虫がつかないように」など、飾りひとつひとつに縁起を担いでいるところが面白味です。

かつては立派なひな人形を飾ることができる裕福な家庭が少なく、それでも娘や孫を祝いたい一心で、お母さんやおばあちゃんが針仕事で手作りしたことから、吊るし飾りの文化は生まれました。

今では街おこしと一体となり、遠路はるばる訪れる人も少なくありません。お子さんの成長を祈るだけでなく、春の到来を感じられる華やかな催しに、ぜひ機会があれば訪れてみてください。
桃の節句といえば、甘酒をはじめ菱餅、ひなあられといった定番のお菓子がつきものです。

さらに料理では、はまぐりのお吸い物。はまぐりは平安時代には「貝合わせ」という遊びに使われていました。

対になっている貝殻以外とは噛み合わないため、仲の良い夫婦の象徴ともみなされており、桃の節句にはまぐりを食べるのは、将来、相性の良いお相手と巡り合いますように、という願いも込められています。

そしてもうひとつ、定番といえるのが、ちらし寿司です。もともと桃の節句には関連がなかったものの、見た目の華やかさや、さまざまな春の旬の食材を取り入れられるとあって、いつしか一般化しました。 その一方でちらし寿司は、地域によってお祝い事やおめでたい日に食す「ハレの日」の料理として親しまれてきた歴史もあります。

たとえば、岡山の郷土料理、ばら寿司。腰が曲がるまで健やかでいられるよう、縁起物として知られるエビ、さらにアナゴやサワラ、ままかりなど瀬戸内海の魚介類をはじめ、穴が開いていて将来を見通せると縁起もののレンコンなどが入っています。面白いのは、その成り立ち。江戸時代、備前の国では贅沢禁止令として「食事は一汁一菜」と定められました。

でも、お祝いの日にはご馳走を食べたい心理は、今も昔も同じ…そこで酢飯にさまざまな具を混ぜ込んだものを「一菜」として食べたことで、郷土料理として定着したそうです。まるで一休さんのトンチのようですね。

ちなみに、ばら寿司は京都県北部の丹後地方でも郷土料理として親しまれています。こちらは、煮付けにしたサバを細かくほぐした「おぼろ」が入っているのが特長です。

昔は若狭湾でよくサバが水揚げされ、それを京都まで運ぶ道は「鯖街道」と呼ばれていました。今では缶詰のサバを用いてつくることが一般的だそうです。

横の写真は、長崎県大村市の郷土料理、大村寿司です。かつてお殿様が敵に攻め込まれ、この地を追われたのですが、やがて反攻に出て帰還。喜んだ人びとは、お祝いのために食事を振舞おうとするも食器が足りず、やむなく木箱を使い、刀で四角く切った「押し寿司」に仕立てたことが由来です。ケーキのような見た目で、ハレの日にふさわしい料理ですね。

ぜひ皆さんのご家庭でも、春めいたちらし寿司で食卓を飾ってはいかがですか?
今後の特集の参考にさせていただきます。
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