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特集記事【2010年11/20日号】

温泉とのゆかりが最も深い戦国武将といえば、甲斐の国の戦国武将、武田信玄でしょう。“信玄の隠し湯”といわれる温泉は、20を超えるほどです。自らの領地での開拓はもちろんのこと、戦地において敵の領地内の温泉を奪取することもあったでしょう。温泉は戦地での傷を癒し、兵士たちのつかの間の休息として大いに貢献したはずです。また、武田軍の財政基盤でもあった金山の発掘においても、作業人達の療養のため温泉が使われることもあったといいます。

その中でも、今回ご紹介する山梨県甲府の積翠寺(せきすいじ)温泉は、温泉好きの信玄のルーツともいえる温泉です。

信玄の父は、甲斐の大名であった武田信虎。その信虎は、府中(甲府市古府中)に躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を築き、そこを拠点としました。他の地域の大名でいうところの「城」です。甲斐統一を成し遂げた信虎でしたが、1521年に今川軍の福島正成率いる軍勢が攻め寄せてきます。信虎は見事に撃退しましたが、その妻は躑躅ヶ崎館の背後に位置する要害山城へ避難していたといいます。そこで生まれたのが。勝千代、のちの武田信玄です。

要害山の山頂には、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生の地」の石碑が建っています。山のふもとにある積翠寺の境内には信玄の産湯を汲んだといわれる「信玄公産湯の井戸」があり、産湯天神も祀られています。

積翠寺温泉も、要害山のふもとに広がる温泉郷です。“隠し湯”といわれていますが、生誕地に位置するため、普段から慣れ親しんだ温泉だったかもしれません。また、川中島の合戦における兵士の傷を癒したとの伝えも残っています。ともあれ躑躅ヶ崎館から程近い距離に湧く温泉ですので、転戦を繰り返してこの湯に浸かった信玄は、さぞかしホッと一息ついたことでしょう。その意味では、信玄にとって“故郷の湯”、もしくは“凱旋の湯”といえるかもしれません。

ちなみに躑躅ヶ崎館の跡地には、武田信玄を御祭神として祀った武田神社があり、その宝物殿には武田家に伝わる甲冑や古文書などが展示されています。
積翠寺温泉には2軒の温泉宿があります。そのうちのひとつが「要害」。もちろん、信玄ゆかりの要害山にちなんだ名前です。

高台に位置するため、眺めがすばらしいことでも知られている同館。その景色は露天風呂からも堪能できます。山間から甲府盆地と南アルプスが一望でき、特に夜景の素晴らしさは折り紙つき。

宿泊客はもちろん、立ち寄り入浴も可能です。その際の入浴料金は700円。10時15分から16時30分の間は、立ち寄り入浴であっても甲府駅北口まで迎えにきてくれるそうです。甲府観光の合間や締めに立ち寄ってみてはいかがでしょう。

ではここで、積翠寺温泉以外の“信玄ゆかりの温泉”についてもご紹介しておきましょう。同じ山梨県ですと、まずは下部温泉。信玄自ら、戦で受けた傷を癒したといわれています。多くの宿泊施設がありますが、老舗の宿「古湯坊 源泉館」がおすすめ。館内には武田信玄や父・信虎の免状が掲げられていて、同館の源泉で多くの武将たちが傷を癒したことを裏付けています。一切循環、加熱、加水していない「かくし湯岩風呂」は混浴です。

湯村温泉も信玄ゆかりの湯。積翠寺温泉と同じく甲府駅の北側に位置し、躑躅ヶ崎館とも目と鼻の先といった距離にありますので、こちらもゆかり深かったといえます。北信濃の戦国大名、村上義清と繰り広げた上田原の戦いで大敗を喫した信玄が、その傷を癒すために湯治したといわれている温泉です。

山梨県以外にも信玄の隠し湯と呼ばれる温泉があります。レトロな雰囲気が温泉ファンに人気の長野県・渋温泉もまたしかり。川中島の合戦で傷ついた兵士達の療養として重宝されたといいます。そのため信玄は、この地にある横湯山温泉寺に寺領七十貫を寄進。寺の紋も、武田家の家紋「四つ割菱」を掲げるようになりました。現在も、境内にはいくつも源泉が湧き出ています。

戦国時代の山野を縦横無尽に駆け抜けた武田信玄。その史跡を巡りつつ、“隠し湯”探訪してみるのも面白そうですよね。
■甲府積翠寺温泉「要害」
 ホームページ:http://www.yougai.co.jp/
 
越後の国の戦国武将として名を馳せた上杉謙信。国内の内乱を鎮圧し、越後を統一した後、武田信玄と5度に渡って繰り広げた「川中島の戦い」をはじめ、北条家や織田家との戦いなど数々の戦歴を残し、“いくさ上手”ぶりを発揮した武将です。

越後、越中、さらには関東にも進出した上杉謙信も、武田信玄と同様に“隠し湯”と呼ばれる温泉が各地に点在しています。

たとえば、新潟県の燕温泉。妙高山の登山口に広がるこの地には、有名な共同無料露天風呂があります。それが謙信自ら傷を癒したといわれている「黄金の湯」と、多くの兵士たちが療養した「河原の湯」。「黄金の湯」は温泉街から程近い距離にあり、湯の花が豊富。「河原の湯」は、吊り橋の脇から渓谷に降りていったところにあり、乳白色の湯が特徴の混浴風呂です。双方とも抜群のロケーションにあり、秋には紅葉を見ながら入浴することができますが、オープンしている期間が5月から11月までと限られています。せっかく燕温泉に行くのなら、ぜひとも入浴体験をしてみたいところ。きっと“これぞ隠し湯!”と思っていただけることでしょう。

そしてもうひとつ紹介したいのが、長野県須坂市仁礼にある仙仁(せに)温泉です。時をさかのぼること平安時代、修験道の修行僧が発見したといわれています。仙仁の「仙」は、仙人のこと。

仙仁温泉の歴史的な特長は“上杉謙信の隠し湯”と呼ばれる一方で“武田信玄の隠し湯”ともいわれていることです。

仙仁温泉の西には、千曲川が流れています。第4次川中島の戦いで上杉軍が妻女山に陣を張る際に渡ったといわれている「布野の渡し」や、戦火によって焼失したところ信玄が援助の手を差し伸べたといわれる旧山千寺観音堂、千曲川左岸に築かれた長沼城跡など、川中島の戦いにゆかりのある史跡が今でも残っています。よって一説には、川中島の戦い以前は“上杉謙信の隠し湯”であり、戦いの後は“武田信玄の隠し湯”になったともいわれています。
仙仁温泉には、なかなか予約が取れないことでも知られている人気の宿があります。それが「仙仁温泉・岩の湯」。須坂と菅平を結ぶ大笹街道の入口にある一軒宿です。

この宿が全国区になった理由のひとつが、岩窟仙人風呂。まさに“隠し湯”の風情満点の洞窟風呂です。洞窟の中はもうもうと湯けむりが立ち込めています。温泉の温度は34度と低めですが、この湯けむりがミストサウナのような効果をもたらしているため、それほど寒さは感じません。洞窟の奥行きは、なんと30メートル。源泉が噴出していたり、滝のようになっているところなどもあり、冒険気分が味わえるところも魅力のひとつです。他にも、内湯や家族風呂、貸切露天風呂があります。

ちなみに岩窟仙人風呂は混浴ですが、男女ともに専用の湯浴み着が用意されているため、女性客でも安心です。その他にも内湯や貸切露天風呂、家族風呂などがあります。

その他、行き届いたサービスや美味しいコース料理、館内のところどころに配置された休憩スペースの居心地の良さ、風光明媚な景色などが訪れる人々の心を惹きつけ、リピーターが続出しています。客室数は18なので、お風呂も館内も混み合うことなく過ごせることも魅力ですね。

仙仁温泉のある須坂市の観光も併せて楽しみましょう。須坂はかつて絹の製造が盛んで、今でも大正時代の趣きを残している“蔵の街”。のんびりと散策してみることをおすすめします。

また、日本の滝百選にも選ばれている米子(よなこ)大瀑布も観光名所のひとつ。垂直に豪快に流れ落ちる権現滝と、霧状に優雅に落ちる不動滝の対比も面白みがあり、絶景を創り出しています。ちなみに雪が降ると米子大瀑布への道路が通行止めになることもありますので、お出かけの際には須坂市観光協会へお問い合わせください。

“隠し湯”気分が心底味わえる秘湯・仙仁温泉に、この冬お出かけしてみませんか?
■仙仁温泉・岩の湯
 ホームページ:http://www.suzaka-kankokyokai.jp/senionsen.php(須坂市観光協会)
 
北陸では最大級の規模を誇る温泉郷、山代温泉。開湯は1300年以上前といわれている古湯でもあります。この地ゆかりの武将は、本能寺の変で織田信長自決に追い込んだ明智光秀。彼が歴史の表舞台に上がったのは1563年の頃。射撃の腕を見込まれた光秀は、越前の朝倉義景に召し抱えられます。その2年後、自らの傷を癒すため、10日間に渡って山代温泉で湯治したといわれています。ちなみに明治時代には、北大路魯山人や与謝野晶子などの文人墨客もこの地を気に入り、幾度となく足を運びました。今年秋には明治時代の共同浴場「総湯」を復元した「古総湯」がオープンしています。
ホームページ:http://www.yamashiro-spa.or.jp/
かの有名な草津温泉の開湯には諸説ありますが、源頼朝もそのうちのひとり。浅間での狩りの途中に訪れ、山中に潜んでいた木曽義仲の残党を味方につけて「湯本」の姓を与えてこの地の地頭にしたといわれています。今でも湯畑に最も近い共同浴場「白旗の湯」の源泉には、頼朝を祀った祠「頼朝宮」が残されています。白旗の湯もかつては頼朝が座して入浴した石が残っていたことから「御座の湯」と呼ばれていたほどです。ちなみに戦国時代には武田信玄もテリトリーとし、江戸時代には八代将軍吉宗が草津の湯を江戸まで運ばせています。
ホームページ:http://www.kusatsu-onsen.ne.jp/
真田幸村をはじめ、戦国時代に活躍をみせた真田家。そのお膝元にあるのが、長野県上田市にある信州角間温泉です。真田家の居城のすぐ近くにあったため、“真田家の隠し湯”といわれています。水と温泉に恵まれたこの地においてとりわけ真田家に重宝されていたとの伝説が残っているのが、角間渓谷の湧水。真田家の茶の湯として使われていたそうです。また、上田市には真田本城跡や真田氏歴史館、菩提寺である長谷寺など、真田ゆかりの名所旧跡がふんだんにあります。ぜひとも歴史巡りの後、角間温泉でひと風呂浴びてみてはいかがでしょう。
ホームページ:http://www.kakumaonsen.jp/
群馬県太田市にあるやぶ塚温泉は、天智天皇の時代に発見された古湯。この地ゆかりの武将は、鎌倉末期から南北朝時代に活躍した新田義貞です。西では足利尊氏、東では新田義貞が、鎌倉幕府を倒すために軍を進めました。その鎌倉攻めにおいて、義貞の軍勢はやぶ塚温泉で傷の療養にあたったといわれています。現在はこぢんまりとした静かな温泉郷で、周辺には江戸時代を再現したテーマパーク「三日月村」や、蛇をメインにした動物園「ジャパンスネークセンター」などがあります。また、大田山金龍寺には新田義貞公供養塔も残されています。
ホームページ:http://www.ota-kanko.jp/history/kakushiyu.htm(太田シティガイド)
 
今後の特集の参考にさせていただきます。
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